アイヌの遺産「金成マツノート」

朝日新聞に以下のような記事があったらしい。
The best is yet to be.さん経由。

http://www.asahi.com/culture/update/0812/011.html

アイヌの遺産「金成マツノート」の翻訳打ち切りへ
2006年08月12日23時04分
 アイヌ民族の英雄叙事詩ユーカラが大量に書き残され、貴重な遺産とされる「金成(かんなり)マツノート」の翻訳が打ち切りの危機にある。言語学者の故・金田一京助氏と5月に亡くなった萱野茂氏が約40年間に33話を訳した。さらに49話が残っているが、事業を続けてきた北海道は「一定の成果が出た」として、文化庁などに07年度で終了する意思を伝えている。

 ユーカラは、アイヌ民族の間で口頭で語り継がれてきた。英雄ポンヤウンぺが神様と闘ったり、死んだ恋人を生き返らせたりする物語。

 昭和初期、キリスト教伝道学校で英語教育を受けた登別市の金成マツさん(1875〜1961)が、文字を持たないアイヌの言葉をローマ字表記で約100冊のノートに書きつづった。92の話(10話は行方不明)のうち、金田一氏が9話を訳し、萱野氏は79年から道教委の委託で翻訳作業を続けてきた。その成果は「ユーカラ集」として刊行され、大学や図書館に配布された。アイヌ語は明治政府以降の同化政策の中で失われ、最近は保存の重要性が見直されつつあるが、自由に使えるのは萱野氏ら数人に限られていた。

 文化庁は「金成マツノート」の翻訳に民俗文化財調査費から28年間、年に数百万円を支出してきた。今年度予算は1500万円のうち、半額を翻訳に助成。同予算は各地の文化財の調査にも使われる。

 これまでのペースでは、全訳するのに50年程度かかりかねない。文化庁は、「一つの事業がこれだけ続いてきたことは異例」であり、特定の地域だけ特別扱いはできないという。これをうけ、北海道は30年目を迎える07年度で終了する方針を関係団体に伝えた。

 道教委は「全訳しないといけないとは思うが、一度、区切りを付け、何らかの別の展開を考えたい」としている。

 樺太アイヌ語学研究者の村崎恭子・元横浜国立大学教授は「金成マツノートは、日本語でいえば大和朝廷古事記にあたる物語で、大切な遺産。アイヌ民族歴史認識が伝えられており、全訳されることで資料としての価値が高まる」と話している。

第一印象:現時点でも「自由に使えるのは萱野氏ら数人に限られていた」というレベルで、使い手がどんどんいなくなっているというのに、悠長に一度区切りを付けている場合か。「特定の地域だけ特別扱い」と言うが、アイヌというのは日本においては特別扱いに値する特別な集団ではないのか?とはいえ、1500万しかないパイの半分をこれに、ということの重みもわからんではない。

続いての疑問:約40年の期間に33話、金田一京助氏が9話、萱野茂氏が残り。40年前と言うと66年。金田一京助氏が71年没ということで、「約」の部分を考慮に入れれば、年一話強のペース。萱野茂氏は79年から(空白があるのか?)今年5月になくなるまでの足掛け28年間に24話。若干ペースが落ちているが、一話の長さなどの問題もあるかもしれないので、だいたい同ペースと言うべきか。まあざっと年一話と言えるのだが、これってこんなものなのだろうか?分量、難易度などわからぬが、これはこれで、なんだかえらく悠長に聞こえるんだが。30年もの間、今の700万程もの研究費をもらってきたのであれば*1、言葉の使い手がどんどん減るという現状を考えたら、貴重な資料であればこそ、まずは82話全体について、極力早期にトータルとしての資料性を増すための事業を考えるべきだったんじゃないのか?しかも今後50年なんて、従事する研究者としても2〜3世代を要する話だぞ。今第一期として始める人が仮に今40代程度だとすると、おそらくは事業の完了前に寿命が尽きるぞ。本当にそれだけかかるものなのか?その間に下手するとアイヌ語自体がどうにかならないか?今イチ「ピン」と来ない。

現時点での感想:これまでの中心人物だった萱野茂氏の死去を受け、「一度、区切りを付け、何らかの別の展開を考えたい」というのも、やむを得ないところはあるような気もする。それでもちゃんと「何らかの別の展開」自体は行ってほしいと思う。できれば国のレベルで。

*1:この手の研究のどこにどのようなお金がかかるかは知らないので、量の多寡については感覚としてつかめないが。