原爆症認定について考え中
土曜日の朝日新聞朝刊一面左下(14版)に、『原爆症 一定の距離・時間なら認定 与党PT案 - 政治』という記事が載っていた。ウェブ上の記事の冒頭にあるまとめを引用すると、
原爆症の認定基準見直しを進めている与党プロジェクトチーム(PT)は、広島・長崎の爆心地から一定距離内で直接被爆した人と、原爆投下後の一定時間内に被爆地へ入った人について、特定の病気を発症していれば自動的に原爆症と認める案を固めた。これらにあてはまらない人は個別に審査し、二段構えで幅広い救済を目指す。年内にも国に提言する。ただ、距離や時間の条件をどう定めるかなど課題は多い。厚生労働省も独自に見直しを検討中で、結論は不透明だ。
というもの。紙面では金順姫と署名が入った1面の記事と、2面の時時刻刻という二つに分かれていたものだったが、ウェブ上では記事後半に、時時刻刻のエッセンスだけ詰め込んでいるような記事となっている。これは非常にもったいない。この「時時刻刻」は非常に色々な方面に目が行き届いた良記事であったように思う。
特にこのテーマで色々とヲチしていると、どうも
と認識(もしくは誤解)しているケースが結構多いのではないかと思える。この記事は、そのあたりをきっちりと図で示してくれている。
この記事から得た情報について色々調べたりまとめたりしていたのだが、どうも暴論に走りそうだったので、現在『被爆者はなぜ原爆症認定を求めるのか (岩波ブックレット)』という本を取り寄せている。「時時刻刻」については、これを読んでから改めて紹介してみたいと思う。
とりあえず、原爆症認定と被爆者として認めるということを混同しているように思えた記事を一件覚書。『原水協通信 On the Web 0.1: 私を「被爆者」と認定してください』
原爆症認定近畿訴訟原告のひとり、川崎紀嘉(きよし)さん(岸和田市在住、81歳)が26日、閉塞性動脈硬化症、糖尿病、心筋梗塞などの合併症で亡くなられました。
2004年3月19日、川崎さんが大阪地裁で陳述した内容を紹介します。
見出しは、岸和田原水協・川崎隆さん。
というもの。
記事に書かれている内容は、広島県宇品町7丁目陸軍船舶練習部教導連隊4中隊
に属して広島県賀茂郡竹原町の国民学校の校舎に分遣隊として任務
についていた川崎氏が、広島の原爆投下の翌日に入市し、数日間市内で寝泊りしながら救助に当たられていたという話。その結果、上司や仲間に死亡するものが出始め、また脱毛や下痢などの症状が広くみられた。終戦後も下痢、貧血症、白血球減少
といった影響が続き、その後糖尿病になったとのこと。
これは確かに悲劇であるのだが、〆にあるこの記述に引っかかった。
私を被爆者として認定してください
その様な恐ろしい経験をしてきたからこそ、原爆症認定を願うのです。
現時点では、1次被爆、2次被曝(ママ・注1)ということで認定・非認定と判断されていますが、私の経験からいってこの判断基準で決定するのは納得できません。
どうか、この事実を十分に理解し、ご判断をいただきたいと切に願っております。
何とぞ、よろしくお願い申し上げます。
ここの第一行は、この記事全体に眺めてみると、おそらく小見出しであるように思う。その意味では、川崎紀嘉氏自身は、氏の病気を原爆に起因するものと認めてくれと、正しく原爆症認定を求める主張をされたのだろう。ところが、原水協という当事者であり、この問題の専門家であろうところが、それを「被爆者として認定してください」などと見出しをつけるのはどうか?
同記事末尾に注として書いているように、氏は軍の一員としておそらく組織的に被爆地の救助に関与されていたのだから被爆者援護法一条三号の「被爆者」であり、それ以上に、翌日に入市されたのだから、明らかに同二号の「被爆者」である。そのような氏が被爆者として認定されていないはずはないし、もし本当に被爆者として認定されていないのなら、それはこのような形ではなく、もっと大きく当局の過誤・怠慢を訴えるべきことである。
小見出しの文責は「岸和田原水協・川崎隆」氏にあるのかもしれないが、それを記事タイトルに持ってきたのは「原水協通信」全体に責任があろう。一体このような形で誤解を広めてどうするつもりだ?
追記:誤解ではない、もしくは正当な理屈がある、ということをご存知の方は、是非ご教示ください。喜んで訂正します。