『イケズの構造』入江敦彦

私はこれから「京都人」に「偏見」を持つことにする。文句は著者に。


悪意があろうがなかろうが、こんなうざい人種は真っ平ごめんだ。というか、悪意もなくてこんなことをするのが当たり前の文化だというなら、もっと最低だ。若い現地人の間でそのような文化が薄れつつあるというのが唯一の救いである。


とりあえず現時点においては冷静になれないのでここまで*1。頭を冷やしたら追記するなり、削除するなりするかもしれない。


ひさうちみちおのイラストに騙されて買った私が馬鹿だった。

イケズの構造 (新潮文庫)

イケズの構造 (新潮文庫)

■念のため補足

私は言葉に裏の意味を持たせることや、ひねた言い回しについていっているのではない。そーゆーのはむしろ好きだ。


言葉の上で「コーヒー」を勧めておきながら、コーヒーを出さない、いやそれどころか『どんなに執拗でも断り続けねばならぬ蟻地獄のような』(p.39)風習を罵倒しているのだ。

『精一杯のストレートな「撤収!」の合図』(p.39)が『喉渇きましたなあ。コーヒーでもどないです』ってどうよ。こういうのこそ伝説の類かと思っていたのに。


ここで出てくる「京都」は「言葉」を大事にしているのではなく、単に非言語的なコードである「因習」を大事にしているに過ぎない。*2


滅びろ、こんな文化。*3

*1:吐き出さねば眠るに眠れんので書いたが、紹介や引用のために見返す気など到底起きない。

*2:伝統と因習は分別可能なのかなあ。

*3:滅びてほしいのは「京都」に限らず、である。もちろん。