軍事研究2007年7月号41ページ〜高井三郎『大陸目標に対する全面核攻撃は戦争史上最悪の惨害を生む 日本の自前核兵器整備の徹底検討』について

日本の自前核兵器整備に関する議論に対し、専門家としてその各種コスト*1とリスクを提示した上で、かかるコストの膨大さに比して見合うものではないという部分は理解できる。

『今後の防衛力整備は大陸攻撃用の核武装よりも先端技術が支える通常戦力の充実に向ける方が望ましい』とする結論自体に異論はない。



ただ、リスク面を強調するあまり、『核の傘を発動すれば大量の死の灰が日本列島を襲撃』という項において、若干の誇張表現が目立つように思える。『通常兵器とは比較にならぬほどの絶大な二次被害を生ずる』ことに定性的には異論を唱えるつもりではないが、定量的には過大に評価しているように思えたのだ。


■軍事研究誌での高井三郎氏の記述

まずは高井氏の書いたものを整理する。

軍事研究 2007年 07月号 [雑誌]

軍事研究 2007年 07月号 [雑誌]

標記の攻撃の例として挙げられているものは

米軍の洛寧攻撃想定に習い、遼寧省吉林省北朝鮮などの目標を攻撃する状況を検証する。

とし、

真目標、一四六箇所を核弾頭一四六発による打撃後の様相を描いて見る。
これらの一〇〇キロトン級弾頭一四六発は一四・六メガトン

という攻撃の規模である。


このような攻撃が行われた場合、中国東北部北朝鮮の打撃点とその隣接地域における即時的被害のすさまじさ、至近である朝鮮半島における被害は、文字通り絶大なものになることには確かだろう。『日本始め東アジアに戦争史上、最悪の惨害をもたらし』という部分へ異論はない。問題は日本における被害の具体的な記述である(強調は引用者)。

更に核爆発が吹き上げた汚染された土砂及び砂塵、あるいは黄砂から成る膨大な量の死の灰が偏西風に乗り、朝鮮半島日本海を経て、本州、四国、九州を襲う。
その戦慄的な凄まじさは広島、長崎の原爆投下の惨害など物の数ではない。死の灰が至る所に落下して飲料水、農作物、海産物あるいは店頭の食品を汚染する。首都圏始め主要都市では原爆症にかかり、倒れる市民が続出するに違いない。政治、行政、経済、民生、国防各機能は麻痺して社会不安が巻き起こり、治安が乱れて処置なしの状態を呈する。

そして「大陸核攻撃で日本全土を覆う死の灰(危機管理学会)」として、九州、四国から本州の半ば以上を『広島・長崎型原爆の700倍を超える膨大な量の』死の灰が覆っているような図が添えられている(下の左図は添えられている図を、大まかなイメージで再現したもの)。

広島・長崎型原爆の700倍を超える膨大な量の』死の灰が本州、四国、九州を襲う図

これを読んで図を見れば、致死量の放射線がこれらの範囲を覆い尽くすような印象を持つのではないだろうか。


■高田純『核爆発災害』の記述

では、この点を、今年発売された高田純『核爆発災害』中公新書を参考に検証してみよう。

核爆発災害―そのとき何が起こるのか (中公新書)

核爆発災害―そのとき何が起こるのか (中公新書)

この新書の第三章「核爆発災害の科学」において、ビキニ(米国のブラボー実験)を参考に、その15メガトン地表核爆発の影響を検証している(p.189-190およびp.189 表3-6)。

核の灰は、偏西風で輸送され降下する。以下は、特別な放射線防護なしに、四日間で避難することを想定した線量予測である。

として、

致死リスクのあるレベルAの楕円の長軸は三三〇キロメートル(略)レベルCの長軸の長さは六五〇キロメートルにも及ぶ。

とされている。


なお、これは4日間の被曝とあるが、一切防護の措置をとらない場合であることと、あと核分裂生成物の放射能には時間が7倍になると放射能が10分の1になるという「時間経過の七倍法則」(p.212)があるとのことであり、その場合4日が一ヶ月(約7倍)になっても、被曝量は約1.4倍(同じ計算で行くと、半年で約倍)で、桁が変わるわけではないので、とりあえずこのラフな考察においてはこのまま進めることにする。


■高田純『核爆発災害』での被曝のレベル分けについて

ここでレベルA、レベルCとあるのはこの著者によるクラス分けである。


レベルAとは、『(一度に浴びた場合には)被曝者のうち半数の人が六〇日以内に死亡する線量』である4シーベルト以上の被曝にあたる。

レベルBとは、レベルA未満の、『短時間に、この線量以上の全身被曝をすると、急性放射線障害が生じる。この障害を受けた人たちには、同時に、その後悪性腫瘍が発生するリスクが高まる』線量である1シーベルト以上の被曝にあたる。言い換えれば、これ以下の被曝では急性放射線障害は生じない。

レベルCは、0.1シーベルト以上1シーベルト未満の、胎児に重大な影響を与える可能性があり、また、がん発生の増加が有意に認められることが確認されている*2レベルの被曝である。ちなみに1シーベルトの被曝で約5%がんが増える*3とされている。一般人には当然妊婦新生児なども含むわけで、このレベルの被曝の社会的影響は大きい。職業人でも通常業務で受けることは認められていない被曝になる。

著者が安全とみなしているのはレベルD以下で、そのレベルDは0.01シーベルト以下。職業人が通常受ける線量を含み、医療でも診断に用いられるレベルである。また、通常一般人でも自然界から0.002シーベルト(世界平均)程度の被曝を受けている。

レベルCとレベルDの間の隙間は、オーダーとしては職業人の被曝(年0.05シーベルト、もしくは5年0.1シーベルト)のレベルにあたり、そのリスクは一般的な職業人のリスクと同程度と推定されており、その被曝から直接的に利益を受ける場合には許容可能とみなしうる被曝ということになる*4。ただし、それ以外の一般人にとっては、できれば避けた方がよいという量であるし、妊婦、子供、乳児、幼児、胎児においては放射線に敏感とされているので、『微妙な線量範囲』となる。


煩雑になったので粗くまとめると、

  • レベルA以上は致死
  • レベルB以上は急性障害
  • レベルC以上は発がん影響*5
  • それ以下は一応線量に応じたリスクがあるとして扱われているけど微妙

ということである。


■検証

さて、15メガトン一発の場合と、146発で計約15メガトンの場合では、影響が同じかどうかわからぬものの、とりあえず同じであるとしてみる。その場合、原爆症にかかり、倒れ』国家の各機能が『麻痺して社会不安が巻き起』る状況は、レベルB、最大限に見積もってもレベルCまでのエリアであろう。

さて、軍事研究誌でモデルとしている攻撃の打撃地点は中国と北朝鮮との国境あたりである。そこから日本までの距離はどの程度かというと、対馬あたりまでで約700km程度。至近の大都市である福岡までで約900km弱程度。首都圏はもちろん更に遠くとなる。

図で示せば以下のようになる。寸法は必ずしも正確ではないが、大きく外れてはいないはず。


15メガトンの地表核爆発による被曝の線量予測(四日間)を、朝鮮半島を中心とした地図に重ね合わせたもの。
Aの楕円はレベルAの範囲(長径330km)CはレベルCの範囲(長径650km)を示す。

すなわち、日本はレベルCの範囲からも外れているのである。


この状況で『社会不安が巻き起り、治安が乱れて処置なしの状態を呈する』としたら、その被曝をもってして『原爆症にかかり、倒れる市民が続出する』とするプロパガンダが社会に定着した状況であろう。


一方『死の灰の経路である韓国も日本と同じ悲劇に遭う。』というのはとんでもない。韓国は完全に国全体がレベルCの範囲に入り、国の広い範囲が急性障害のあるレベルB、北方では致死性のあるレベルAの範囲にも成りうるであろう。言い換えれば、日本のものとして書かれている『惨害』は、すべて韓国の『惨害』の記述としてなら間違いないものと思われる。

その意味で、仮に、先制打撃を行わなければ実際に被っていたであろう被害(これは、その場合、決して証明されえぬ被害でもある)よりも小さいと言われても、なかなか許容しえぬ『惨害』であることは間違いないだろう。


以上、この「検証」は、全部オーダーの比較ですませたような非常にラフなものではあるし、また、高田氏の計算や被曝の影響の評価自体にも検証が必要だろう。さらに、万一のその事態においては実際の放射能分布の状況に即した対応が必須であるのは間違いない。しかし、扇情的な文章で過剰に恐怖を煽り立てるのは、決して薦められた話ではないと思う。


謝辞

この記事について知った『Fukuma's Daily Record』さまのエントリ『中国・朝鮮に核で完全勝利するとどうなるか』に感謝します。

また、ぐぐっていて見つけた『STARFLEET的読書生活』さまのエントリ『今月の軍事研究は読み応えがある…軍事研究 2007年7月号』も参考にさせていただきました。


2007-07-12 タイトルの誤字修正。「戦争市場」ってなんだよ(笑)。ついでに、自分で読んでいてもわかりにくいので、ラフな図を追加。)

*1:人物金、そして地上基地であれば『岐阜県全域または四国山地に近い』という規模の『明治建軍以来、未曾有の広大な軍用地の取得が必要である』という土地など。

*2:以上引用者による要約

*3:増える、と書くのは放射線を特別に被曝しない状況においても、寿命が延長している先進国においては、全死亡のうち約30%程度をがんが占めるとされているからである。

*4:その労働によって生計を立てている場合、もしくは、放射能を含む投薬治療を受けた身近な親族を介護するような場合など。

*5:正確には「有意な」発がん影響