擬似宗教

マクロビオティックについて調べていて思わず遅くなる。


ただの菜食主義運動のように思っていたのだが、間違っていたことを悟る。特にその理論的指導者(桜沢如一(ジョージ・オーサワ(George Ohsawa))、久司道夫ら)関係の諸々については、少々怒りを感じていてまとまらないので、とりあえず感想だけ先にあげておく。



マクロビオティックの信奉者は、工業的な手が過剰に加わっていない正しい有機農法のものだけを取って健康に暮らしている自分が大好きのようだ。しかし、正しい有機農法しかなかったころの、飢餓、栄養不良の割合を知らないのだろうか。


また、これはマクロビオティックとダイレクトに関係しているものかわからないが、すくなくともそのような「哲学」を生活習慣全体に当てはめられた場合、「自然であること」を崇拝し、薬などを極端に嫌い、今調べていた例で言えば、出産においても陣痛促進剤や会陰切開、帝王切開などは論外で、「自然」な出産を真善美とするように見受けられる。

皆が「自然」な出産であったころの妊産婦死亡率を知らないのだろうか(例⇒)。


多分彼らの多く、少なくとも末端信者はともかく、指導的立場の人たちは知っているのだろう。

いっそ、「正しい」有機農法、「正しい」自然生活によって維持できない生命、生み出すことの出来ない生命には存在の意義がなく、選択によって除かれるのが「正しい」と、さらには、逆にそれらによって活かされている自分は選ばれた存在であるとでも断言するのであれば、まだ独善臭のみで、偽善臭・欺瞞臭まではしてこない分、納得するのだが*1

*1:支持はしない。私は貧乏でありまたストイックなんて薬にしたくともないような「選ばれていない」存在であると自認しているから、分相応に手に入るもので、それなりに「享楽的」な生活を続けるだろう。