『ピアノはなぜ黒いのか』斉藤信哉

あまり音楽関係の本を読んだこともないのだが、ピアノ販売、調律という、業界のちょっと脇の方からの視点ゆえに、あまり語られてこなかったピアノの姿を教えてくれる本であるように思う。


表題になっている、なぜ「日本では」ピアノ=黒という状況なのか言う点については、肝心の「なぜ」の部分が推測となっているので、若干期待はずれ。


ただ、日本では滅多に聴くどころか眼にすることすら難しい、欧州のピアノの魅力について触れた章は、その情熱が伝わってきて、なかなか面白かった。ヤマハ、カワイ以外では、スタインウェイベーゼンドルファーくらいしか知らないものなあ。


ベヒシュタインについての

ヤマハスタインウェイは鍵盤を叩きつけるように弾いても、音が割れたりひしゃげたりしにくいのですが、同じような弾き方でベヒシュタインに向かうと、ヒステリックな音になってしまいます。
ベヒシュタインはヤマハスタインウェイよりも、ずっと豊かな色彩を持っています。絵の具でいえば色の種類が多く、しかも一つ一つの色が繊細です。だからいろいろな色を出そうとして演奏すれば、ほんとうに美しい音とハーモニーが生まれます。でもパワーやスピードを競うような弾き方でベヒシュタインにのぞむと、いろいろな色がごちゃ混ぜになって、にごったきたない音になってしまいます。

とか、ベーゼンドルファーについての

メープルなどの堅い木を何層にも重ね合わせ、緊張させて外装をつくる通常のピアノと違い、ベーゼンドルファーの外装には響鳴板と同じ、やわらかいフィヒテ材が使われ、しかも外装を緊張させない独特の手法が用いられています。そのせいかもしれませんが、ベーゼンドルファーは弾き手が緊張していると、それを敏感に察するかのようにうまく歌ってくれません。

という記述、「ベートーベン時代の音を再現する」と紹介されているザウター、「次高音から高音にかけての音域に、通常のピアノより一本多く弦を張」ることによって、「ハープか高級なギターのような、まさに弦楽器の音」を出すと言うブリュートナー、鍵盤の前面を下げる第四のペダルを持ち、モーツアルト時代のような少し浅い鍵盤、軽やかな操作性を可能にするというファツィオリプレイエル、グロトリアン、など、紹介を読んでいると、自分にそれを聴き分ける耳がないとわかっていつつも、色々なピアノの音に触れたくなってくる。


そのように音の質にこだわりを見せる一方で述べる、なぜメーカーは音の小さいピアノを作らないのか、という提言は興味深い。ピアノの進化は、音を大きくする方向への進化であったことに触れた上で、そのような提言をしているのだが、要は、日本の家庭にはヤマハとカワイの音以外のピアノが事実上存在しないということと、一種表裏一体の問題かな、という気もする。


また、私のような素人には、長年、ピアノの練習を、一応ピアノと同じ機構を備えた電子楽器で行うことの問題点が、今ひとつ理解できなかったのだが、

「ピアノを習って電子ピアノで練習するのは、習字をマジックペンで練習するようなもの」

と言う表現は、(一応自分でも色々と「良い」演奏を聞いた後だったからもあろうが、)非常にしっくり納得のいく、説得力のある表現であった。


それこそ、上述の欧州ピアノのような、タッチの違いによる音の差異が、より顕著に現れるようなピアノを頻繁に耳にしていれば、理解が早いものかもしれない。

ピアノはなぜ黒いのか (幻冬舎新書)

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