『ロンドン 地主と都市デザイン』鈴木博之

近現代のロンドンを、どのような背景を持って発展してきたのか、解きほぐしてくれる本。公園や道の名前からその歴史が読み取れることを示してくれ、ロンドンの街を歩くにしても、このような歴史の厚みを知ると知らないとでは、さぞかし感慨が違うだろうと思わせてくれる。


ロンドンは、広大な土地を持つ強力な地主たちによる、エステート(領地、一まとまりの土地)の集まりとして成立した。中世的な土地所有の形態が、それこそ現在に至るまで尾を引いているのである。それはまとまった土地ごとに、街づくりが行われてきた事を意味する。


英国では、土地所有が封建制からの尾を引いているために、不動産は「土地」で扱われる(p.132)。上物は独立した物件ではなく、土地の定着物なのだ。ただし、当然その土地の評価としては、土地柄、土地施設の充実度だけではなく、建物もその評価要因となる。したがって、大土地所有者は街並みを整備する必要が生じ、公共的な性格も帯びてくるようになるという。そして、公園や道路の名前は、誰の領地がどのように開発されたかを語っているのだという。

英国人は、わりあい住んでいるところを気にするというが、その裏には自分の住所である通りの名前や、広場の名前がその開発の歴史を物語っており、それが現在にいたるまで地区の性格に反映しているからだろう。(p.138-9)


パリのような都市は、大きな都市計画の下に造られているために整然としている。一方ロンドンは、以上のような歴史的経緯から、エステート毎のまとまりだけが優先された、個々には快適な空間であるが、全体で見ればパッチワークのような都市となったというのであった。


最終章は現代のロンドンの都市管理の推移にも触れられ、現在のロンドンがどのように成り立って今に至っているのかを俯瞰できる、良書である。



ただ画竜点睛を欠く点が一つ。この著者、本の中でロンドンを歩いてみせているのだが、ご自身で実際にロンドンを歩かれたことはあまりないと思われる。少なくとも、実際に英国人に混じって歩いたことはほとんどなく、もっぱら文献的に“歩いた”ものと思われる。

なんとなれば、あまりにも地名の読み方に誤りが多いのだ。

(ノーザンバランド公爵家は)自らの爵位と同じノーザンバランド地方に、アランウィック・カースルという館を持っており(p.14)

とあるのは、当サイトでも既述Alnwick(アニック)のことである。非常に奇妙な読みとはいえ、これだけ本書中で多くの地名に触れておりながら-wick系の名前の実際の呼ばれように疑問を抱かずにいるとは考えられない。

更に、

ウェストミンスター公爵であるグロヴナー家(p.115など多数)

とあるが、Grosvenorのsは発音しない。「グロヴナー」である。



個人的に極め付けだと思ったのは、

さまざまな工場がテームズ川に沿ってヴォクソールまで続くサウスウォーク(p.180)

これも既述のSouthwark(サザーク)である。ロンドンの中心に近いところに位置し、大聖堂もあり同名の橋もある。西洋建築史を修めたような方が実際にロンドンを歩いていれば、この名前を知らぬはずもあるまい。

これらは、ごく短期間英国にいただけの私でも気づいた部分である。ロンドンをじっくり歩き回ったような方ならば、私が見過ごした固有名詞にもきっと「オヤ?」というのがあるだろう。このような極めて説得力を失わせる記述がそのままであるというのは、とても惜しい。

ロンドン―地主と都市デザイン (ちくま新書)

ロンドン―地主と都市デザイン (ちくま新書)