上の話をふと思ったきっかけ
古代ローマ帝国の教育制度が、小学校・中学校・高等学校が私立の自由市場であり、教師たちの自由競争にまかされていたのに、大学院大学に当たるような最高学府(アテネの「アカデミア」およびアレクサンドリアの「ムセイオン」)だけいわば「国立」で、そこの教授陣は「この種の競争から無縁でいられた」ことについて
研究と競争は必ずしも良い関係にはない
ところがキリスト教が国教となり、帝国の経済力が衰えてしまった時代になって、医療も教育も公営化されたことについて
ある一つの考え方に社会は統一さるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。
あとがきで、先進国ではインフラの重要性を忘れても暮らしていけるが、そこまで十分ではない国々が多い現状について*1
経済的に余裕がないからか。
インフラ整備を不可欠と思う、考え方が欠けているからだろうか。
それとも、それを実行するための、強い政治意志が欠けているからか。
それともそれとも、「平和」(パクス)の存続が保証されていないからであろうか。
以上、「ローマ人の物語 28 すべての道はローマに通ず[下]」より引用。とりあえずこちらもメモ。
ローマ人の物語 (28) すべての道はローマに通ず(下) (新潮文庫)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/09/28
- メディア: 文庫
- クリック: 9回
- この商品を含むブログ (57件) を見る