『世界をだました男』(Catch me if you can)Frank Abagnale with Stan Redding

言うまでもなく、 映画キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンの原作である。

この本を読むにつれ、著者は実に頭の良い男だと…ないしは天性の詐欺師であると…感じられた。


映画のパンフレットや雑誌プレミア(日本版5月号)のインタビューなどで、著者は映画が90パーセント自分の人生そのものを描いているということ言っている。しかし、この本と比較してみるとどうか。

映画では、裕福で仲の良い両親のもとで幸せな子供時代を送ってきたが、父の事業の失敗を機に家庭が崩壊し、母の浮気により両親が離婚、そのショックですぐさま家出を行うような描かれ方をしている。

本では、裕福ではあったが、付き合いや趣味の遠洋型の海釣りに夢中の父から、母が子供を連れて飛び出し、正式に離婚したときに主人公だけが父と生活をともにすることにした。その環境で「最初の詐欺」で父に損害を与え、カトリックの系列の問題児向けの私立学校に入れられる。その間に、父の事業が行き詰まり、破産し、その父のもとから家出を行う。

また、実際に捕まるまでの間に、FBI捜査官との間に実際に顔を合わせたことはなく、ゆえに捕まえてくれと言わんばかりのFBI捜査官への電話についても記述はない。

その他様々なエピソードについてもシークエンスが異なっていたり入れ代わっていたり…。

映画で重要なエピソードを形作る、アメリカの刑務所から出る下りにしても、映画ではFBIから捜査に協力することとひきかえに自由を与えるという、FBI主導の取り引きの形として描かれていたが、本の後書きによれば仮釈放後、いろいろな職を転々とした後で自分の才覚で詐欺に対するコンサルタント業を思い付き、成功後FBIからも招かれるようになったとある。

とても映画ががあったことをそのまま伝えているとは思えない。


著者本人が監修に入っているのだから、本に書かなかったところ、本に書いたことの本当のところ、実際にあったことをより分かりやすく伝えるための方便として許容したところもあっただろう。

しかし、私はどんなに懸け離れた部分があっても、ほとんど同じと言い切ることのできる所に、彼の魅力があるのではないかと感じたのだ。

著者の詐欺は、唯一の例外を除き、個人を相手にしない。常に法人からだまし取る。そしてその窓口となった個人や、だますために利用した様々な相手には、惜しみなく自分の魅力を振りまき続け、相手を気持ち良くさせる。

その「詐欺師」の彼が、スピルバーグやディカプリオという、当代一流、いや超一流の表現者…彼等もまた超一流のだまし屋である…と組んで行うこの「計画」で、どのようにふるまうことが、それを聞く相手を心地よくさせるものか、よーくわきまえてい…というより、それを天性としてふるまえるのではないかと感じたのだ。

ま、確かに映画そのもののどきどきワクワクさせられる話と言っていいかもしれない。やっている行為は決してほめられたものではないし…ってより犯罪だし、その動機も女好きから来ていたりする。でもそういったことを補ってあまりある陽気さがここにはある。


まさに後書きで本人自身が述べている「法的にも社会的にも受け入れられる方向で成功を収めた『詐欺師』」の力量を、著作においても発揮したといっていいのではないだろうか。

書影がちがうー

世界をだました男 Catch Me If You Can (新潮文庫)

世界をだました男 Catch Me If You Can (新潮文庫)

  • 作者: フランクアバネイル,スタンレディング,Frank W. Abagnale,Stan Redding,佐々田雅子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 文庫
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