NBオンライン『世界は『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』でできている』より

NBオンラインの『世界は『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』でできている』という書評が若干の注目を集めている。*1


これは、『ものぐさ精神分析』『唯幻論』で知られる岸田秀が、英国人歴史学者マーティン・バナールの『黒いアテナ』とそれにまつわる論争をサマリしつつ、自らの思想を述べた本であるらしい。


未読であるため、踏み込んだコメントなどはしようがないのだが、この書評にあった文章で一箇所ちょっと引っかかった部分をメモ。誤解の指摘などは歓迎します。



岸田秀

バナールは「ギリシャ文明はヨーロッパオリジナルではない」というが、そもそもギリシャ文明と今のヨーロッパ文明は無関係である。ギリシャ人だったアリストテレスの著作をヨーロッパの古典とするのは、孔子の『論語』を日本の古典と称するに等しい。他人のものを自分のものとするのは一種の横領である。

との趣旨のことを書いているという。



未読ゆえに、岸田が何を論拠としているのか知らないが、もし

  • 文化の断絶があったこと
  • 断絶の前後でそれを担う種族が異なること

をもって、『ギリシャ人だったアリストテレスの著作をヨーロッパの古典とする』ことを論難しているのであれば、

孔子の『論語』を日本の古典と称する

こと以前に*2

孔子の『論語』を「中国」の古典と称する

ことも論難すべきはないか*3


「正史」として繋がっていればそれでよいというのは、フェアではあるまい。

*1:エントリ作成時点において、ぶくま一ページ目のぶくま二ページ目のぶくまで、計54。ただし私自身のぶくま3とRSSも含む。

*2:私自身は、日本から見れば、「論語」は「日本のもの」ではなくとも「日本の古典」であると思う。オリジナルに敬意を払うというのとは、また別の意味で。

*3:論語の時代以降にいくつかの断絶があり、担う種族が変わっているのだから。