歌は世につれ世は歌につれ

b:id:finalvent氏のところで興味深い話を見かけた。以下にその記事『NIKKEI NET(日経ネット):ユーミンなどの歌詞、日本語に回帰・国語研調査』を引用。

ユーミンなどの歌詞、日本語に回帰・国語研調査


日本を代表する女性シンガー・ソングライター中島みゆきさんと松任谷由実さんの曲の歌詞に出てくる外国語の割合が、1970年代のデビューから90年代後半までは増加したが、2000年以降は減り「日本語回帰」とも言える現象が起きていることが27日、伊藤雅光・国立国語研究所文献情報グループ長の調査で分かった。


調査は、デビューから昨年12月までに発売された中島さんの321曲とユーミンの347曲のいずれも3万語以上の歌詞を(1)日本語(2)アルファベット表記の外国語(3)カタカナ表記の外来語―などに分類した。


中島さんは70年代には外国語を使わなかったが、90年代後半には歌詞に占める割合が5.9%まで増加。しかし2000年以降は減った。外来語はおおむね2%台で推移している。


ユーミンは外国語を多用し、ピークの90年代後半は70年代の3倍超の13.9%で中島さんの2倍以上。2000年以降は減少に転じ、外来語も2.8%で過去最少。〔共同〕(12:11)

ふーん。面白いね。で、それで?



この記事にはそれをどう解釈したかが不明確である。その辺りがもう少し詳しく書かれた記事『00年以降、歌詞に「日本語回帰」現象 国立国語研究所調査|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB』から該当部分を引用しよう。

伊藤さんは「2人は英語やカタカナを多用し、時代を先取りして多くのヒット曲を生んだが、外国語の新鮮さが薄れ、日本語への回帰現象が起きているのではないか」と分析している。

主語はなに?社会現象としての『日本語への回帰現象』を主張したいのなら、データの提示が足りぬのではないのかい?


例えば、それぞれの曲は当然売れ方が異なっており、その社会における受容のされ方(≒社会の雰囲気の反映度合い)や与えるインパクトは、それに応じて異なっているはずではないか。


例えば、各曲の外国語使用スコアを、その曲のヒットチャート上の順位で補正してあるのなら、それは社会における外国語使用の風潮を反映したスコアといえよう。もうちょっと厳密っぽくやるのなら、その曲の総売上枚数を、発表から一年間のレコード総売上枚数*1で割った値あたりを持ってくると、チャート順位よりはもっと実情を反映しそうである。


そのようなことをせぬデータは、単にシンガーソングライターの内面における言語選択の歴史にすぎず、社会との関連を主張しうるデータではないのではないか。それとも国立国語研究所というのはそういう文学史的なことを研究する機関なのか?



見た中で、一番詳しく書かれていたNarinari.comの『最近の歌詞は「日本語回帰」? 松任谷由実と中島みゆきで調査。』という記事には、このような一節もある。

こうした「日本語回帰」の現象は松任谷由実中島みゆきだけでなく、コブクロの「蕾」やオレンジレンジの「花」、レミオロメンの「粉雪」など、最近の曲でも顕著なのだそう。

「そう」とあるところを見ると、取材して書かれた文章であろう。


だったら、まさにコレを発表しろよ。


社会が日本語に回帰しているかどうかを主張するための研究であるならば、トップチャート上位曲の歌詞の変遷の部分こそを、データで示さないでどうする。



税金で趣味の研究をやってんじゃないよ、と思った。

*1:地上の星」のようなケースはそうないであろうから。