「シンプソンズ」の吹替え
ぶくま*1経由で「米人気アニメ映画「シンプソンズ」の吹替版に和田アキ子、ロンブー淳ら」という記事を覗いて見た。
全米の国民的人気アニメの劇場映画版「ザ・シンプソンズ MOVIE」の日本語吹替版キャストに、タレントの和田アキ子、所ジョージ、ロンドンブーツ1号2号の田村淳、ベッキーが選ばれたことが8月14日、分かった。
というもの。
私自身は「シンプソンズ」は一度借りてみて、面白く感じなかったので、以降全く触れていない。だから誰がどういう吹替えをしようがかまわないのだが、既存の多くのファンにとっては、この行為は「オリジナル」を破壊する裏切り行為ではないのだろうか。
たとえば別の吹替えの場合で考えてみる。
刑事コロンボを一度字幕で観てみたことがある。まるっきり違うのな、雰囲気が。冷静に評価してみると、オリジナルの方が、コロンボのいやらしさがくっきりと出ている気がする。
しかし、私の求めているものはそれではなかった。分析するために観るのではない。楽しむために観るのだ。その私の「オリジナル」はあくまで小池朝雄吹替えのものである。ストーリーについては楽しめるものであっても、そのギャップのためにハマれないのだ。ついでにエンディングにはNHKのつけていた音楽が欲しい。
一方、Desparate Housewives(『デスパレートな妻たち』)については、私はオリジナルのキャラの性格を全く反映していない、声優の選択を完璧に誤った、最低の吹替えだと思っている*2。よく考えてみれば、元のキャラとは印象が全く異なる声優という点ではコロンボのケースと同じなんだが、こちらではNHK版ではイライラするばかりで、まったく楽しむことが出来ない。
「オリジナル」というのは、その程度に恣意的なものではあるが、ファンが求めているのはそれであると思う。
20世紀フォックスはファンの総とっかえがしたいのかね。
*1:thx>id:partygirl氏
*2:思いっきり強調したくなるほどに。