『なんで英語やるの』中津燎子

世界の共通語として必ず守らねばならない、英語の最大公約数的基礎ルールと日本人の発声の特徴

一.英語は人間同士の言語で、お互いの意思を伝達するために存在し、あらゆるほかの国の言語と対等である。
二.英語は、ある規定によって発せられた音を伴い、しかも、音を重視する聴覚型言語である。
三.英語は、腹式呼吸で発声し、発音する。
四.英語は、自他を明快にわける思考を土台にしている。

日本人は、白人より呼吸が浅く、呼吸量が少ないので、破裂音と、母音がまともに出ていない

口に指をたてに三本入れて、エーイと発音する。

(英語教師に必要な留学時の科目として)アメリカ人向けの音声学は、一応習って又後で日本人向けに編集する気でやらなきゃ、効果ないわよ。その証拠があなた達の破裂音だわ。破裂破裂と唱えてるばかりで一寸も破裂になっていないもの

発音のほうは、一寸聞くと戦前派はたしかにブロークンだがわかりやすい。英単語の中にブロークンイングリッシュと言う名詞がちゃんと存在している程、世界の誰もがペラペラとたやすく英語を発音できるわけではない。しかしブロークン英語は、英語を基盤にしたブロークンだから、案外わかりやすいのである。

英語の早期教育に関して

音は動きが伴ってこそ、幼児にとって意味をもつ。

母国語すらはっきりした概念形成が出来ていない幼児に、外国語を教えなければならぬその必然性が私には発見できない。

著者は幼児期のロシア語による経験が強烈で、日本語そのものの根つきが深くないと感じているとして、

その理由をたどってゆくと、結局は、食べ、眠り、遊ぶ、と言う幼年時代のたしかな感覚が、日本語で強く入らなかったのではないかと思える。
言語というものは、単なる平板な知識として、子供の身につくのではなく、子供の小さな世界の必需品として安定した地位と音とイメージを持つとき、磐石の重みがあるのではなかろうか。

たとえ、日本語だけしか喋れない青い眼の子であったとしても、日本という国で日本人の父を持って生まれる以上、人格の基本は日本という土壌に根付かせるべきであり母国語は日本語であるべきだろう。それがほぼ出来上がってから、英語は第二言語として従属的にいれていかないと、幼児期ではあまりに心理的にうけいれ体制が弱いのではないか。
なまじ英語、日本語が、ちゃんぽんに出てくるために、大人の社会の英語アレルギーをまともにあびて、心理的に不安定になり、悪くゆけば、精神的無国籍者になりかねない。

社会がマルチリンガルである欧米とは社会環境が異なるために、なまじい英語を教えることで、むしろ社会から余分な抑圧を受けるのではないかということを、自身、自身の子供、教える中で見てきた子供を通じて考えている。

真の国際人とは、自分自身の、ひいては自分の母国の文化をしっかりと持っている人だ。だから他国の人々と対等に話が出来、相手の文化をも理解が出来る。自分が何もない人間は、相手をはかる尺度すらなく、その時、その時の風の吹きようで、どのような色にも染る。

私は、文化という言葉より、民族の土着性と言う方があたっていると思う。(略)ある一人の人間が赤ん坊のときから十才位までに出来上がってゆく過程では、その土着性が何よりも大切なものではないかと痛感している。

和風英語=日本において英語が、英語一般のルールから逸脱しているように感じることを語って。

言語である以上、思考、感覚がなければ成立しない筈なのに、なしでやっちまうから、生徒たちは、自分でしらずしらずのうちに、日本語感覚と日本的思考をもち出しにして、埋めあわせをやるんだわ。

日本人集団としては、ケンカなどする気もなく、ただ、常識にのっとって世界の色々な所に出て行って、色々な仕事をし、行動をして来るわけだが、その基盤となっている常識そのものに、相手の存在が含まれてない時は、奇妙な混乱が起こり始める。

感想

昭和49年初版発行という古い本だから、内容的には古いものも含まれているはずなのだろうが、一読した限りでは、本書で語られている日本の教育に対する問題提起は、そのまま使える部分が多いように思われる。


英語教育法自体は、流石に30年以上たった現在では、当時よりは改良はされている部分も多いのではないかと思う一方で、変わらぬ問題点もまだまだあるのではないかと思う。殊に社会のアレルギーに関しては増しこそすれ全く減っていないのではないだろうか。著者が叩き込まれた「原音」自体は、今「フォニックス」として使われるようになってきているものであろうが、さて、どこまで実行されているのだろうか。

借りた本はアマゾンのものとは異なり、午夢館から昭和49年1月12日初版発行、昭和54年2月20日21版発行(定価980円)の本。著者略歴としては以下のようにある。

1925年 福岡市に生まる
1928年 ソ連に行く
1938年 帰国
1956年 渡米
1965年 帰国
 現在 主婦 2児の母

なんで英語やるの? (文春文庫 な 3-1)

なんで英語やるの? (文春文庫 な 3-1)