外山恒一
「2007年東京都知事選挙特集」というページに面白い統計が載っていた。
得票数で見れば、
石原 51% 浅野 31% 吉田 11% 黒川 2.9% Dr中松 1.6% 桜 1.3% 内川 0.4% 外山 0.3%
となり、外山なぞ石原の約1/200の存在感の存在に過ぎないのだ。
ところが、これをこの時期に書かれたブログのエントリ数でみると、恐ろしい結果となるのだ!!
石原 41% 浅野 14% 吉田 5.1% 黒川 7.2% Dr中松 10.5% 桜 6.2% 内川 1.3% 外山 10.0%
外山(10.0%)の存在感が、Dr中松(10.5%)と並んで、浅田(14%)に次ぐ存在として大幅にアップしてしまうという。
こりゃネット上では
という記述が成立するわけだわ(笑)*1
*1:実像よりも存在感を出したと言う意味では、特に。「中国史において」がトリッキーなんだよね。通史には「石原」はいないからね。通史的に見れば魏武自体がどんなポジションになることやら。政治史上、文化史上かなり存在感はあるとはいえ、超一流・一流クラスには入りようはないでしょ。「24」史を適当に傾斜配分すれば、文化史的意義を最大限勘案して過大に評価すれば、1/30くらいには評価しうるかも(適当)。まあその意味ではその衛星である劉備を、全体の1/300程度の存在感を示す外山恒一程度と評すのは、ある程度妥当なところかもしれないな。個人的には「断代史」的に曹操=石原と置いて、孫権=浅野、劉備=吉田〜黒川的に解釈した方がまだ納得はいくけどね。