どうして日本語には緑の形容詞は無いんだ?? さあ、どうしてだ?

本文はもとよりだが、コメント欄の記述もすばらしいので備忘。というか、URLがたくさん書いてあるときは、はてなの記事にするとそのままリンクになって便利。*1

鮎川龍人
『まず「良さそう」に対する「ヨサゲ」、「悪そう」に対する「ワルゲ」ですが、現代日本語では、どちらも使います。
これは「良さそう」「悪そう」が上品に聞こえるので、わざと逆の感じに使うわけですね。
言わば庶民的用法とでも申しましょうか?


「大きく声を出してください」は根本的に問題ですね。
日本語として正しいのは「大きな声で話して下さい」です。
つまり動詞の選択が間違っている。
日本語で声を出すというのは通常、会話することではなく、叫ぶなど、意味不明の声の場合に限定されます。
「話す」という動詞を選択できれば、自然に「大きな声で」となります。
木走さまの仰る通り「話す」にかかりますから。
別の表現も当然、在り得るわけです。
例えば「聞こえません」「はっきり聞こえません」「聞こえるようにしゃべって下さい」など。どちらの表現でも、言われた側は言葉の用法では無く、声の大きさに問題があることを理解できるはずです。
言語というものを文法、つまり相互理解の為の信号として捉える考え方では理解できないでしょう。
言語というものは文化であり、文化的表現形態であることを認識しなければいけません。
日本人同士の会話の場合でも、ほぼ60%くらい聞こえれば、大体の意味が通じるのは、そのためです。
文化を共有しているから、相手の表情や前後の脈絡、話すときの状況で、大方は推定できるからです。
普段は声が小さい日本人でも、電話になると大きな声で話す人が多いことを考えれば容易く推定できますね。


次に「悲しき」などの表現ですが、これは古典的用法です。
英語圏の方ならばシェイクスピア時代の英語と現代アメリカ英語を較べてみれば推定できるでしょう。
もっと言えばOld EnglishとかMiddle Englishもありますね。
緑色についてですが、まず日本に於ける色彩の表現についてご覧下さい↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xn6t-ogr/colors/TradColors.txt.n.html
上記のサイトは、日本の傳統色 長崎盛輝著 京都書院アーツコレクションを基本に作成された素晴らしいサイトです。


↓こちらも非常に分りやすいサイトです。英語での色表現もありますから、欧米の方にはお奨めです。
http://www.colordic.org/w/


で、日本人にも緑に関する色彩表現があることが前提(笑)ですが↓のサイトにありますように、日本では“青”と“緑”を表現上、区別しておりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91


denchanさまご指摘の通り。
ですから、夏の山(森)は「あおい」と表現されるのです。
また、5原色(赤、黄、青、黒、白)以外は、“い”をつけて形容詞形にしていません。
紫も橙もそうですね。
“あおい”はあっても“みどりい”は一般には使わないのは、このような理由によります。


ここで申し上げておかなければならないのは、だからと言って日本語がシステム的に未熟であるとか、論理的で無いという表現は全くの間違いだということです。
これは数詞を考えて見れば良くわかります。
日本語、英語、フランス語で、1から100まで、また「1番の〜100番の」を発音して見れば、良くわかることです。
この点で最も論理的なのは日本語です。
また和算の歴史を考えても↓良く分ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%AE%97
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AD%9D%E5%92%8C


日本語を含む日本文化は確かにその時々に諸外国の文化を取り入れて発展してきましたが、これは勿論、優劣に於いて比較されるものではなく、多様性において論じられるものなのです。
ご存知のように世界の最も古い土器は縄文式土器↓を含め、印欧語族文化圏以外のところで発見されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8
逆に言えば欧米の方が日本語(日本文化)を理解しにくいように、日本人も欧米語(欧米文化)を理解しにくいと言うことです。
とりわけ、謙譲の美徳を重視する文化的日本人には、自己肯定的な現代アメリカの文化は理解しにくいのですね。』

*1:でもこのままだと引用の要件を満たさないなあ。なんかコメントつけようか(笑)