天皇と庶民

読売新聞の記事「江戸時代の天皇即位式、“観覧券”配って庶民に公開」より

江戸時代、天皇即位式が“観覧券”を配って公開され、庶民が多数詰めかけていたことが、森田登代子・大阪樟蔭女子大学非常勤講師(近世民衆史)の研究で分かった。


幕府の政策で民衆から遠ざけられていたとされる従来の近世天皇像を覆すもので、今週発売される国際日本文化研究センター日文研)の共同研究報告書『公家と武家3』(思文閣出版)に掲載する。


幕府は、朝廷を統制する法令(禁中並公家諸法度)を定めるなど天皇の力を抑制、管理。天皇は庶民から隔離され隠された存在、と従来は思われてきた。


森田講師が、当時の京都で奉行所が高札などの形で出した膨大な数の「町触れ」(告知)を調べた結果、1735年の桜町天皇即位式前の町触れに「御即位拝見之儀、此度者(このたびは)切手札(きってふだ)を以(もって)男ハ御台所門、女者(は)日之御門より入レ候之条」とあり、これは、観覧券に当たる「切手札」を発行し、男女別で御所のどの門から入るかを決めていたと判明。続く桃園天皇即位式でも切手札を発行、事故防止のためか「男百人、女弐(二)百人」と制限し、老人や足が弱い人などの観覧を禁じた事実も分かった。


1779年の光格天皇即位式を描いた『御譲位図式』などの絵図も調べたところ、警備の武士とは別に、庶民の正装である裃(かみしも)を着て御所に入る人、子ども、授乳する母親らの絵柄が確認された。森田講師は「民衆にとってごく身近で楽しみな行事だった。江戸時代になって急に公開したのでなく、中世以来の伝統ではないか」と語る。


当時の即位式は高御座(たかみくら)に昇る天皇を中心に、公卿ら数十人が出席、鉦(かね)・太鼓、祝詞奏上、焼香など厳かな儀礼が繰り広げられたことが分かっている。


(2006年11月19日20時18分 読売新聞)

公卿が地方に下った際につかったお風呂の残り湯が万病に効くとかいうばっちい信仰が江戸期にはあったとかよく聞くが、朝廷と庶民とが完全に没交渉であればそのような信仰すら生まれないのではないかと思っていた。その観点からは何となく納得である。


というわけで、備忘的エントリ。