「市民」

ブログの類をいろいろ見ていると、たまに「市民活動家を別件逮捕・微罪逮捕で逮捕拘留している。人権侵害だ!!」的なページに出会うことがある。*1


でもそれってどうよ。


確かにすべての「市民活動家」が「悪い」わけではない。私にだって、評価している「市民活動」はある。しかしその一方で、小田急沿線住民の大多数に十数年間迷惑をかけ続けている「市民活動家」もいれば、防衛兵器の搬入に反対する一方でその相手国の軍備増強には何も言わない「市民活動家」がいたりする。


そんなやつらに「市民」を名乗って欲しくない。彼らは「市民」を僭称する存在だ。


極論を言えば、「市民活動家」の一部が行っている反社会的行動をきちんと取り締まる法律がないから、別件逮捕・微罪逮捕などで対応する羽目になっており、これは将来本当の普通の「市民」にまで禍根を残しかねないことで、大いに迷惑だ、という理屈だって成り立つかもしれない。しかも「スパイ防止法」「破防法」といった、正しく使えば役に立つものを、政府に権力を与えたくないというレベルのことで単純につぶしてきたのにも、彼ら「市民」は関与していたのではなかったか。


濫用を懼れるならば、監視およびチェック機構を議論すればいいはずだ。個人の自由の尊重を最大かつ不可侵の価値とするのではなく、公共の福祉を視野に入れて*2。それを、議論以前の段階で潰すというのは、「市民」が取るべき行動ではないのではなかろうか。


以上前半はとあるページを読んでの感想を元に、後半の一部は、「やじゅんのページ/The World according to YAJUN 権力のコントロール(「9・11から5年」の補足)」を読んでの追加。

*1:「是々非々で考えたほうがいい。どー考えてもあの手の捜査はよろしくないと思います。 」というコメントをいただいたので補足。私もこういう捜査はよくないと思いますよ。後述のように、迷惑だ、と述べています。同じ目にあいたくないと思います。公安だからといって法を恣意的に運用してよいとは思いません。公安も、「原則として」、公安活動に必要な法が整備された元で活動するべきではないかと思います。恣意的な運用をやめさせるためには、それだけの法整備が必要かと思うのですが、少なくとも一部の「市民活動家」はそれに反対してきませんでしたでしょうか。公道上での手荷物チェックが必要なら、その法整備をすればよい。今のように任意を装いつつ強制し、下手に反抗すれば公務執行妨害。そんなのはごめんだから、法律でどこまでが容認される範囲で、どこからが越権なのかを明確にしておいた上で、その運用をチェックすると言う形のほうが、いざその目にあったときは、よっぽど精神安定上よいです。法整備に反対し、恣意的な運用を結果的に助長する。そういう「活動」は迷惑です。

*2:よく言われる話だが、英国では監視カメラの存在を、市民は「おおむね」受け入れているし、それが安全を守るために必要であると、「おおむね」考えている。かつ、英国爆弾テロの後の誤認射殺事件を見ても、それによって一定のリスクが生じることも含めて、「おおむね」受け入れているように思われる。