似非な理解で似非を扱うヒト
文字コードとかそちらの方で、エキセントリックなことを言うので有名な「南堂」というヒトがいるらしい。その人が、なんだか新しい進化論である「クラス進化論」というのを唱えているというので、いってみたりしたが、そっちは時間の無駄なので割愛。
その人が、個人のブログでいろいろと面白いという事を書いているというので、そちらも覗いてみた。その中から一つご紹介。
「Open ブログ: ◆ エセ進化論」より
進化論としては間違っている理論(エセ進化論)と見なされている、二つの学説がある。「ラマルク説」と「ID(知的デザイン)説」だ。
しかしながら、この二つの説は、現代の標準的な進化論と、実質的に等価になってしまう── ということが、今回の両生類の化石からわかる。
のっけから「なんじゃこりゃ」である。
ちなみに今回の、とあるのはその前日のエントリで触れられていた、今年の4月6日に報道されていた魚と両棲類の中間的な化石のこと。
さて、わくわくしつつ続きを読む。
「ラマルク説」とは、「環境が突然変異をもたらす」という説だ。
……。間違い。参考までにWikipediaのジャン=バティスト・ラマルクから以下を引用:
ラマルクは、2つの法則をまとめている。
- 発達の限界を超えていない動物であれば、如何なるものでも、頻繁かつ持続的に使用する器官は、次第に強壮に、より発達し、より大きくなり、その力はその器官を使用した時間の比率による。これに対して、いかなる器官でも、恒常的な不使用は、僅かずつ弱々しくなり、良くなくなり、次第にその機能上の能力がなくなって、時には消失する場合もある。
- それぞれの個体で、自然に獲得したものや失ったものの全ては、それがその品種が長い間置かれていた環境の影響によるものであっても、そしてそこから生じた特定器官の優先的な使用や恒常的な不使用の影響によるものであっても、獲得された形質が両性に共通であるか、少なくとも子供を作る個体に共通ならば、それらは、その個体の生殖による新しい個体に保持される。
1つ目の法則が「用不用説」の用不用の部分に、2番目の法則が「獲得形質の遺伝」にあたる。
な?わっかるかなー。わっかんねーだろーなー。*1
IDについては馬鹿馬鹿しいので略。
で、どうなるかと言うと、こう続く:
さて。標準的な説の「逐次的な進化」とう説*2を前提としよう。(仮定。)
すると、前項で述べたように、今回の両生類の化石の発見では、「短期間で大量の突然変異が起こった」ということになる。*3
とすれば、その理由は、次のいずれかとなる。
・ 大量の突然変異をもたらしたのは、環境である。
・ 大量の突然変異をもたらしたのは、超越的な何らかのものである。
この二つはもちろん、それぞれ、「ラマルク説」と「ID説」とに相当する。標準的な説を取る限り、この二つのどちらかを取るしかない。前者を取れば、ラマルク説。後者を取れば、ID説。いずれにしても、エセ進化論となってしまう。かくて、標準的な進化論は破綻する。
破綻が起こるように表面的な言葉の並べ方をしているんだから、そりゃ破綻するわな。あたかもジャンプとかの少年漫画の対戦物のように。
そしてこれを受けて、このような人たちに特有の、既存の科学への非難を始める。
ただし、もう一つ、別の道もある。こうだ。
「矛盾があっても、見て見ぬフリをする」
現実には、矛盾がある。それは、
「突発的な進化という事実を見る限り、短期間に大量の突然変異があることが必要となるのだが、その事実を無視する」
ということだ。つまり、
「化石を見る限り、短期間に急激な進化が起こる、という事実が、たくさん見られるのに、その事実を否定して、『本当は連続的に進化しているのだ』と思い込む」
ということだ。これはいわば、
「裸の王様が本当は裸であっても、事実を見ずに、『王様はすてきな服を着ているんだよ』と見なす」
ということだ。事実を見ずに、虚偽を信じる。── そういう態度を取る限りは、標準的な進化論が破綻していても、その破綻を見て見ぬフリをすることができる。
かくて自分の「無知の無知」に気づかぬまま、自らの破綻した論理を基準に外部を破綻していると説くのであった。