クジラはうまいか

クジラといえば給食の立田揚げであった。これは時によって、また同じ皿の中でも時にとてつもなく臭く固く不味い肉が混ざってたりするので注意は必要であったが、その例外を除けば概ねおいしかった。当時私は魚臭さを毛嫌いするガキであったが、若干の海のものの香りはあっても、クジラは楽しみなメニューの一つだった。

高校になるとすべて弁当となり、クジラから縁遠くなった。その間に日本の捕鯨は禁止された。

大学になり東京に出て来ると、渋谷に「くじら屋」という店があるのを知った。早晩クジラの在庫がなくなって、なくなることが確定している店であろうと思った。なくなる前に是非食べに行きたいと思いつつも、その価格は貧乏学生の出せるものではなかった。

その後時間が経った。しかし「くじら屋」はなくならなかった。小金をある程度自由にできるようになった私は数度「くじら屋」を訪れた。クジラはやはりうまかった。給食のクジラとはほぼ別物ではあったが。


捕鯨禁止の話を始めに聞いた時、絶滅寸前の生き物を捕らえて喰うことは許されないと思った。だから原則捕鯨禁止には賛成であった。ただ在庫があるあいだに縁があればそれを食べたいと思った。その程度の賛成だ。

実際には日本が主張しているクジラの数は増加傾向にあるという。ならば良いではないか。何も喰い尽くそうというのではないのだから。過去のどこぞの国々のように油だけを求めて大量にかき集めようというのではないのだ。

うまいものが他にもあるだろうとか、所詮嗜好品ではないかって。大きなお世話だ。

例えば蕎麦だ。蕎麦を食べねば生きて行けないわけではなく、米を主食とする立場からは所詮嗜好品である。他にうまいものも、麺類だけに限定してもうどんそうめんきしめんパスタラーメンなどなどいくらでもある。蕎麦のアレルギーはとても激しい症状を示す。そんな救慌食上がりの危険な食い物にこだわらなくてもいいじゃないか。大きなお世話だ。私は蕎麦が好きなんだ。たとえ時に半年以上食べないことがある程度に「嗜好品」であっても、好きなものは好きなんだ。手前勝手な思想で人の嗜好に口出しするな。

科学的な判断として絶滅危惧種であるのなら、どんなに薬効があってもその種を漢方の薬として利用しようとする動きには反対するだろう。科学的に判断して絶滅危惧のレベルから脱していないシロナガスクジラを喰おうという動きがあれば、やはり反対するだろう。「クジラ」はそうか?