米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)
軽妙なエッセイで名高い米原万里氏の自伝的中編ドキュメンタリー3編がおさめられている本である。内容は下記Dataを見てもらったほうが早いかもしれない。
解説にあるように、「かつての同級生の消息を、おとなになったマリが訪ね歩く各章の後半部分は驚きの連続。ミステリを読むようなドキドキ感さえあります。」ってのはまさにその通り。
印象深い部分を引用。
異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。(123ページ)
自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。
「そんなヤツは、結局、世界中どこの国をも、どの民族をも愛せないのよ」(123ページ)
他人の才能をこれほど無私無欲に祝福する心の広さ、人の好さは、ロシア人特有の国民性かもしれない(中略)
「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに」(199-200ページ)
(ベオグラードでモスクに入るときに、頭髪を隠すためのかぶり物を探そうとする「マリ」に対して守衛ボックスから出てきた14、5歳の少年がアラーの神を信じていないのなら必要がないと言った後に)
「異教徒に対して寛容にならなくちゃいけないんだ。それが一番大切なことなんだ」(261ページ)
正直米原さんの父親が非合法時代からの共産主義者だったことは、実はちょっと衝撃だった。しかし思えば1960年頃に東欧に行って娘をソビエト学校に入れるって時点でそちらの人でなければあり得ない話。彼女は、その父のことを誇らしく語る。チャウシェスクのルーマニアで高官を務めていた「嘘つきアーニャ」の父が後悔していると語ったことに対して彼女は心の中で叫ぶ
父の夢見た共産主義とあなたの実践した似非共産主義を一緒くたにしないでほしい! 法的社会的経済的不平等に矛盾を感じて父は自分の恵まれた境遇を捨てたんです! あなたが目指したのはその逆ではないですか!(156ページ)
そう。(これも解説に書かれたこととだぶっちゃうんだけど)今の左を見ているとつい忘れてしまうのだが、共産主義は本来平等を目指す理想主義であったのだ。今の左は嫌いだけど、その理想主義的な部分は忘れてはいけない(自戒)。
だがそういわれたアーニャの父も、恵まれた境遇を捨てて非合法な共産主義活動に身を投じた人なのであり、レーニン自身「実は生涯に一度も自らの労働で自分の生活を支えるという生活者の経験を持たなかった」「地主として小作人からの小作料を当てにして生きていた」(27ページ)人であった。それぞれ何と言う矛盾か。
こうしたことから何を引き出すべきか。私は自分なりの結論を出せていない。
何はともあれ、本書は先行したエッセイで出てきた「人柄でいえばロシア人は、暖かくて、お人好しで馬鹿親切で最高だけど、結婚相手としては理想的ではない。だって大酒喰らってばかりいるから」とう国別性格論がどういう背景をもった人の台詞に由来しているものかがわかるというだけでも、米原万里ファンは必読でしょう(^^)。