「クイーン」は『世界でヒットする前に日本でヒットした』のか?
『404 Blog Not Found:世界にとっての日本=UnixにとってのBSD説』に以下のような記述があった。
「海外発日本経由再び海外へ」というのは、実はいろいろなところにかなりある。以外*1な例だとQueen がそうだったりする。世界でヒットする前に日本でヒットしたんだよね。
エントリの本筋から離れた部分であるが、クイーンにとって「海外発日本経由再び海外へ」というほど日本がコミットしていたのか、若干疑問に思ったので確認しようと思ったら…。
Wikipediaのクイーンの項の、『クイーンと日本の関係』という項目に既に詳しく説明があった。
1970年代半ば、日本で最も大きな影響力をもっていたロック雑誌ミュージック・ライフが最大限のプッシュをしたこともあり、十代の女性の間で人気が爆発し、アイドル的人気を博した。
クイーンが日本で人気を獲得して以来、日本の様々なメディアにおいて「クイーンは本国よりもいち早く日本でブレイクした」という報道がされ続けている。しかし、イギリスのチャートにおいて、『クイーン II』は5位、『シアー・ハート・アタック』は2位まで上昇しており、また初来日がイギリスで本格的にブレイクを果たした『シアー・ハート・アタック』リリース以降であること、イギリスでのリリースから8ヶ月後に発売された『戦慄の王女/クイーン』の日本での最高位も52位だったことなどを考え合わせると、事実とは異なると考えられる。この時期の日本での若い女性の熱狂ぶりに比べて、バンドが本国のメディアから批判の対象となっていたため、「デビュー当初は本国では売れていなかった」との印象が一人歩きして、当時から雑誌でもそのように報道されていたことがこのような報道がなされる一因と考えられる。
(書きかけ)
引用した部分の後にも書かれているように、日本のファンの熱狂的な支持がクイーンにとって貴重であったことは間違いないだろう。でも時系列的にみれば、ウィキペの記述の方が妥当ではないかと思える。
*1:ママ