『講談・英語の歴史』渡部昇一

意外に面白い。本人が言うように、またタイトルにあるように語りおろしであるために、とても読みやすい。例も豊富でありながら、読むのが邪魔なほどの煩雑には至っていない。


話の流れ的にも、また、細かな点についても興味深い話が多く、借りた本だからプライベート用に抜書きしたが、自分でもここまで手をかけて抜書きするくらいなら、買ったほうがいいんではないかと思ったくらいであった。分量が多くなりすぎたのでさすがに公開は控えておくが。


とりあえず範囲を近代英語に絞るならば、フランスのアカデミーでは絢爛たるルイ王朝の言葉を規範に国家で統制して言語を整理したが、イギリスでは肝心の王室が「外人」であり、文法も語彙もすべてが民間によって整理されたと言うくだりは、非常に納得であった。
これはこれですばらしいと思う反面(日本語でも旧仮名遣いの方が、語彙体系としての整合性がとりやすい、などから)、その結果として、かくもルールが無茶苦茶な言語を覚える羽目になったのか、と思わないでもないところである。



また細かな点についても少しだけ挙げておくならば、近代英語確立の際に、ラテン語の教養が広まるにつれ、聞いたとおりの音の書き写しから、etymological spellings(語源的スペリングズ)に変わっていったと言う話(下記引用以外に、debtやreceiptなど):

たとえば、ミドル・イングリッシュ時代のチョーサーは「兵士」を耳に聞こえるようにsoudiour(ソージャー)と書いた。
これは古フランス語で「ソージャー」といったからsoudiourと書いたわけだ。ところが、ルネサンスになり、ラテン語が盛んになると、ラテン語を学んだ人が増え、ラテン語ではsolidariusとlがあるというので、soudiourにlが入ってくるようになり、soudiourがsoldierになった。

や、辞書によって確定されたスペルにしたがって、発音もそれに引きずられて代わって言ったというような話:

さらには、発音もジョンソンのスペリングに合わせようというほうに向かっていった。たとえば、Indian(インドの人)は「インジャン」と発音する人が多かった。ところが、ジョンソンのスペリングどおりに「インディアン」と発音しようという流れが主流になり、字の読めない階級が「インジャン」と言うのは変わらなかったが、教養ある階級はスペリングに忠実に「インディアン」と言うようになった。その後も、学問を気にしない貴族たちは「インジャン」と言い続け、最下層階級と一番上の階級が「インジャン」、学校に行く真ん中の階級は「インディアン」と言うようになった。

など、なかなか「使えそう」である。



このように、英語の歴史に関した話は、非常に面白いのだが、日本語と教育に関係した話をしている第四章は今ひとついただけないところがある。


著者は日本の国語教育で、「生きている言葉」である大和言葉を重視しろというが、そこで述べているのは以下のような文章である。

そこで、国語教育の第一は大和言葉の文学を子供に教えることである。大和言葉は母の言葉であり、無学の母親も知っているヴォキャブラリーだけから成り立っている。したがって、『万葉集』にある、

石(いわ)ばしる 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌えいづる春に なりにけるかも

のヴォキャブラリーがわからない日本人はいないだろう。

正気とは思えない。教育を受けずにこの歌を理解できる現代日本人がいるとは思わない。

洗練に洗練を重ねたといわれる平安朝の『古今集』の歌でも、どこにも知らない単語がないはずだ。

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ

わからないだろうなどと考えず、小学生から、あるいは幼稚園から教えてもいい。
「古池や蛙飛び込む水の音」がわからないような子供はいないはずだし、「ひさかたの」だけを枕詞だと教えれば「光のどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ」もわかるだろう。

どこに「知らない単語がない」って?無茶な。


全体として言っていることに同意しないわけじゃないが、それをこの理屈で押し出せば、誰の同意も得られないだろう。教養がありすぎて一般人のレベルがわからなくなっているんではないのか?


ただ、「テキストを限定する」には大いに賛成。

基本的なものを徹底的にやれば、他のものも読める。全般的に薄く広くやるよりははるかに力になるのである。

はそうだろう。


英語に関することも数多く述べておられるが、個人的には、新聞雑誌をぱらぱらと読むために、また、留学をするなど海外で認められるためには、ヴォキャブラリー・ビルディングが必要だとの指摘、また、英文法がしっかりできていなければ少なくとも学問的環境では相手にされないと言う指摘、そして発音はこれらの下位にしか来ないという指摘も興味深かった。

ノーマン・ルイスのヴォキャブラリー・ビルディングの本は語源に分解して教える方法をとり、教え方がうまい。実にいい本である。

講談・英語の歴史 (PHP新書)

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