「地方の人が車を買ったから、ローカル線が消えた?」のか?
id:partygirlさんの「地方の人が車を買ったから、ローカル線が消えた?」について。
ご本人が
反論というより、触発されて考えてみたという感じです(笑)
と書いているように、反論というものではなく、末尾の方にあるように
でも、それじゃ地方の交通はどうしたら良いのか?
というのが執筆の動機なんではないかと思う。ただ、元田舎者としてはリンク元の主張の方が若干理があるように思えて書き込み*1。
だから都会より田舎のほうが先に車社会になったとも思えない。
とpartygirlさんはおっしゃいますが、確かにそんなはずはありませんし、実際リンク元でもそのような主張はしていません。
ぐぐってみたら、
環境白書
の図をみても、1970年までは都会の方が一人当たりの車台数は多かった。しかし、その頃を境に逆転していくのが見てとれます。
またアカデミア青木「第14回 「裏道」がドロドロ・ベタベタだった頃」にある記述によれば、昭和40年代に東京都市部はほぼ道路舗装が完了した一方、地方で道路舗装が盛んになっていくのは昭和50年代の話です。
したがって、確かに
- 都会より田舎の方が先に車社会になった
なんてことはなかったのですが、1970年以降
- 田舎の方が車の普及率が高くなった
のです。
実感としては*3、車の数が増えるに従って、1980年代ごろから駅前商店街から郊外型ショッピングセンターへのシフトがはじまり、90年代には駅前の没落は確実なものとなっていたように思います。この辺りはモータリゼーションおよび都市機能の集約性という意味で、良い指標なんではないでしょうか。
で、公共交通機関ですが、もともと田舎は都会部よりも利便性が低かったんです。某雪の多い地方では、国鉄の「本線」ですら30分〜1時間に一本しか走っていなかったのだから*4。人口が少なく、それがまばらに分布しているのだから仕方がない。だから車をもてるようになれば皆車にシフトし、ますます公共交通機関を圧迫して不便にしていったのです。*5
農家が車を持ったから地方の交通が
ダメになったというのなら、農家が車を持たなかったら、鉄道もバスも
ちゃんと整備されていたと言うのだろうか?
については、都会を基準にすれば、もともとダメだったから車にシフトし、もっとダメになったんではないでしょうか。本当の過疎地ならともかく、仮にも原則的に人口が5万以上いるはずの「市」においてすら、公共交通がまばらになっているのはそれが理由かとおもっています。
ただ若干単純化されているかなと思うのは、モータリゼーションと郊外への人口シフトが平行しておこっているときには、自家用車を前提に必ずしもバス路線とは異なる地域への居住が可能になり、それが進行していくわけです。すると、バス路線に人口が集中するのではなく、一定の時間距離以内のところであれば広く分散した人口分布を示すようになります。自家用車を前提として集積度が低い「町」作りをした以上、公共交通機関がそれに対応していないと文句を言うのは、そもそもどうよ、という話になります。
まあこれも裏を返せば人口が集約していない以上公共交通機関が採算を取りにくくて壊滅するってことにもなるんでしょうから、結論的にはリンク元と同じ表現になるかもしれませんけど。
あ、あと農家にこだわり過ぎているような。公共交通機構にしろ自家用車にしろ、上記環境白書1-1-15図にもあるように、まずは通勤・通学用途でしょう。