日清戦争において既に大艦巨砲主義のほころびが見えるというのは正当か

2007-03-11付「三景艦二題」で言及した、「ハードSFと戦争と物理学と化学と医学」「2007年 03月 10日  日清戦争:三景艦は役立たずだった」および「2007年03月23日 戦いは数だよ、兄貴!」に関連したやり取りの続き。

枝葉末節に踏み込みすぎたので話をもう一度引き戻そう。


日清戦争黄海海戦の戦訓から大艦巨砲主義のほころびを読み取るのは正当か否か。


日清戦争黄海海戦は主力艦同士の決戦ではなかったが、そこからわかるのは、むしろ小艦艇の砲力では主力艦に決定的な打撃を与えられないということ。攻撃力<防御力では、優勢に攻撃を遂行できても決定的な打撃=撃沈を与えることが出来ない。その場合どうなるか、については日露戦争における黄海海戦の結果が参考になるだろう*1

というわけで、ブログ主の主張の一つである小砲の小艦艇多数で巨砲の大艦艇少数に対抗して制海権が得られるかという点については、首肯しがたいものがある。やはり決定的な打撃力は必要なのだ。そして、時代は確実にそういう方向に動いていったではないか。


日露の主力艦同士の対戦を見ても、上記黄海海戦では、補助艦艇は沈んでも主力艦は沈まなかった。戦艦の「定義」が自分の主砲弾に耐えうる装甲を持つ、というのだからある意味当然。とはいえ日本海海戦の結果を見ればわかるように、攻撃力≧防御力の時代に入ってきている。

その日露の戦訓を受け、攻撃力を増していく中で生まれてきたのがドレッドノート。そして、弩級までの砲の大きさは大体同じで隻数、門数をもって戦力の基準としていた時代から、砲の大きさ自体が大きくなっていく超弩級以降がむしろ大艦巨砲の競争の時代であろう。

その攻撃力>防御力となっていく巨砲はそのままに、速度を上げることに重点を置いて防御力を省くとどうなるかというのを示したのがユトランド沖海戦

結果として、主力艦にはやはり攻撃力と相応の防御力が必要であり、さらにもう一つの戦訓として、主戦場に参加するためには高速も必要ということが明らかとなった。ここまでは別段破綻した話ではないと思う。

そういった高性能化競争が進む中で、徐々に「大艦巨砲」は高価で負担が大きすぎる、貴重すぎるものとなり、それに対して他の安価な撃沈手段が発達してきたことによって、大艦巨砲主義が終焉を迎えるというのが通常のストーリーである。すなわち結局は、決定的な打撃力が必須であるという原則は変わらず、同じ打撃力に対するコストが安ければ、結果として同じリソースからより大きな打撃力を得られるというだけの話である。


その安価な撃沈手段の一つである魚形水雷を取り上げれば、ブログ主のもう一つ主張は、航空機以前に、たとえばユトランド沖海戦巡洋戦艦ではなく、その資源経費労力を全部駆逐艦にまわして一種の飽和攻撃を行えていれば勝てたのか、ってことになるかと思うが、さて、どうか。

少なくとも「プロ」のシミュレーションでは、戦艦が孤艦であるならばともかく、それに護衛の補助艦艇が加わった艦隊に対しては、水雷戦隊や潜水艦では対抗できないとされていたのだ。すなわち、打撃力単独を取り上げれば十分であっても、それを実際に対象に到達させる総合力としてみれば決定的なものではないと。水雷防御も洗練してきたポストユトランド型の時代についていえば正当な気がするけどね。

ちなみに別に水雷戦隊不要と言っているのではないよ。日本刀が、首狩という、一種の決着をつけるには必須なものであっても、戦場における主兵器ではない*2というのと似た話である。

一方でその「プロ」のシミュレーションにおいても、艦船よりは遥かに高機動で標的が小さく低コストの飛行機については、その有効性が明らかであったからこそ*3第二次世界大戦前に既に空母機動艦隊の目的に適う軍艦を作るための建艦計画が実際に動いていたのだと言えはしないか(米高速戦艦など)。そして、確かに時代はそちらに動いていったのだ。



以上、そもそも日清戦争ってのは大艦巨砲主義の始まる遥か以前。その時点をもって大艦巨砲主義の終焉の始まりというのは、そもそも矛盾しており、歴史的経緯を踏まえないはるか後世からの後知恵である、という話。

*1:撃沈できないからいつまでも日本の制海権の確保を完全なものとできなかった事例だと把握している。

*2:鈴木眞哉の説

*3:それでもマレー沖海戦までは戦闘機動中の戦艦に対して決定的な打撃力を持つということが広くは信じられていなかったわけだし、それ以降でも実際の戦闘の事例を見ていけば決して容易なことではないことが明らかだが。