晴の食事と健康と

「きじるしの不思議」さんの「普段の食事とお祝いの日の食事」経由で、「憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記」さんの「心にも栄養を (2006-09-29)」へ。


「憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記」さんの、安部司『食品の裏側?みんな大好きな食品添加物』からの以下の引用を読んで。

わが家にやってきた甥っ子は、お祝いの料理を前にして怪訝な顔をしています。

それもそのはず。食卓に並んでいたのは、色の悪い手作りのベーコン、竹の子や野菜の煮物、かしわご飯、芋の煮っころがし、煮豆といったものだったからです。

(中略)

「見た目だけ派手で美しい料理」を出そうと思えば簡単です。(中略)でも、華やかな色とりどりの加工食品を並べた食卓と、家族でつくった地味な田舎料理を並べた食卓と、どっちが豊かか。どちらが心がこもっているか??比べるまでもないのではないでしょうか。

なんだこの本は。テーマ的には興味深いものの、なんとなく胡散臭いので手を出さずにいたが、完全に読む気をなくした。



きじるしさんのおっしゃるように、

豊かでも、心をこめようが、子供の心に残るのはお祝いの日の虚しさだけです。

必要なのは楽しさです。楽しさです。楽しさです。

楽しくない食事なんて幾ら美味しくても食べるに値しません。



ただ、この話のおかしい所は、

別に地味な料理で無く、お祝い料理を作れば良いって所。

地味な田舎料理でないと駄目な理由が存在しないのになぜそこに拘るのか?

これに尽きる。



「憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記」さんの〆の言葉で〆る。

子どもの誕生日に煮豆を食べさせるのは、心のこもった行為なのかもしれないが、子どもの心の栄養にはならない。心の影響だけでは成長できないが。


今日のポイント
健康に気を遣いすぎるのは病気である。


ちなみに、こっちは読んだ。良い本だと思った*1

食卓の安全学―「食品報道」のウソを見破る

食卓の安全学―「食品報道」のウソを見破る

*1:松永和紀さんの「食卓の安全学?「食品報道」のウソを見破る」。わざわざ取り寄せて読んだのに、帰国時に人に譲ってきたんだよなあ。もちろん良い本だと思ったから、人に薦める意味で置いてきたんだが、やっぱり良い本は手元にほしいよなあ。かくて本は増殖する(^^;