「ハチドリのひとしずく いま、私にできること」続き
http://d.hatena.ne.jp/mobanama/20060823#1156338004の続き。
嫌悪感を覚える理由を改めて確認するために、もう一度元の話を眺めてみた。
ストーリーは、森の火事で他の生き物が逃げていく中、クリキンディという名前のハチドリだけ、水を汲んでは火にかけるという行為を続けている。他の生き物から何の意味があるのかと笑われたとき、クリキンディは
私は私にできることをしているだけ
と答える。
これだけ。
- おそらく主張の中身ではなく、この譬え話の内容に嫌悪感を感じたというのがまず大きい
火事発生時の対処の基本としては、初期消火が可能な範囲(天井に火が届いたらもうだめ)に限り初期消火を行い、それを過ぎたら速やかに避難しろ、とされているはずである。さらにその初期消火にしても、水鉄砲で闇雲にちょぼちょぼ水をかけるようなものは役に立たない。
このハチドリのエピソードは、
- 何の役にも立たない
- 誤った行為を、
- 正義であるとの文脈の下に語っている。
ついでに言えば、そこに自らは正義を遂行しているのだと言う「自己陶酔」の雰囲気も感じてしまうのが、さらに嫌悪感を増しているのかもしれない。
- そもそもストーリーの出来が悪い
小学校1年の国語か道徳の教科書じゃあるまいに、あまりにも唐突な終わり方。民話にしてもなんかあまりにも都合が良すぎて不自然。仮にエクアドルの話であるにせよ、適当にtruncateでもしたか、「塵も積もれば山となる」程度のことわざを膨らませでもしたか、その際に何か民話から題材をとって混ぜたりとか、なんかそういうことでもしたんではあるまいか。
その主体が日本における紹介者であるとは限らない。彼の時点では既にこの姿だったってのもあり得ないことでもあるまい。
もちろんここは印象を言語化したもので、ただの邪推だ。
まあだいたい以上の二点+南米の古い民話と言う装い方に対する警戒感が、先の印象を形作ったものではなかろうか。