かんじに「こだわる」のはホドホドにしませんか?

で、ヒロさん日記でのブログ主のHiro-sanの記述の中で、主張の本質部分ではないけど気になる点を一点。

谷沢永一 『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社)(ネットソース

 倭というのは「背が曲がってたけの低い小人」という意味で、チャイニーズが日本人のことを呼ぶときの軽蔑語なのである。チャイニーズが日本人をそのように呼ぶのは勝手だが(本当は非常に礼を失するのだが、チャイニーズの傲慢は度し難いので、黙殺するしかないであろう)、日本人が自ら「倭人」を名乗る必要はない。
 「奴国」も同様である。奴というのは、奴ひ(下男下女)の奴であり、召使いあるいは金で買われた住みこみの使用人という意味である。つまり、「奴国」とは召使いの国という意味なのである。
 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、すべて軽蔑毀誉貶斥の意味である。邪悪の邪が使われていたり、卑しいという字が使われているのだから、悪意に発するということは直ちにわかるはずだ。
 しかし、だからといって、いまさら「邪馬台国」や「卑弥呼」を他の名前にするのも大変である。そこで、せめてカタカナで書こうじゃないかというのが、かねてからの私の提案である。

「しな」をワープロ変換しても「支那」は出て来ないのに、「ひみこ」のほうは簡単に「卑弥呼」に変換されていいのであろうか。私も「ヒミコ」にすることに賛成である。

卑弥呼」を現代の読みで「ヒミコ」と読んじゃうと、漢字の古音を元にした議論がかすんじゃうからヤだな。検索して見つかった一例。卑弥呼の読み 本当にヒミコと読むのか。他にも「ピメコ」だったかな?そういう読み方していた物もあったし。

邪馬台国」にしても通称通り「ヤマタイ」と呼ぶか、一部の説に有るように「邪馬臺国」(台)というのは「邪馬壹国」(壱)の(意図的な/非意図的な)写し間違えであるとか、また漢字古音からすると「ヤマト」と読めるとか読めないとか、いろいろな議論が既にしてあるわけだ。

もう少し真面目に述べると、漢字古音を日本語のどの音に対応させるか、そして日本語古音と現代語音との関係から、現代語で言えばどう発音すべきかというステップを踏めば、どうしてもぶれ幅が生じるだろう。ここは素直に、原典の読み方を優先して紹介すべきところではないかと思う。

字義に悪意があったことにしても、古代中国がそういう国だったんだからしょうがないじゃないか。それも含めて学習すべき事柄だろう。

というわけで、これらの漢字文献だけにしかたどれない語彙をカタカナ書きだけで表記するのには大反対である。書き取りまでできる必要は無いけれどもさ。


ただし一応念のため補足しておくと、漢字にこだわりすぎることにもまた反対であり、日本語や各種固有名詞についても、漢字の意味を離れて音に遡ることには大賛成である。アイヌ語起源の各種地名なんて漢字のイメージに縛られていたら勿体無いと思う。