現代日本における「識字」のイデオロギーと漢字不可欠論の要旨

ヒロさん日記『かんじに「こだわる」のはホドホドにしませんか?』にて、

現代日本における「識字」のイデオロギーと漢字不可欠論の要旨*1が紹介されていた。

参考までに一部を引用する。

おおくの「にほんじん」は、「にほんごは かんじ ぬきでは かけない」と おもいこんでいる。だから、このような かんじを つかわない ぶんしょうを バカに する ひとが おおい。

また、かんじを まぜた ほうが はやく よめる という かんがえにも かがくてき・こんきょが ない。それは、なれから くる ものに すぎない。

こういった げんじつを ふまえて、これからは、かんじを なるべく つかわない ように こころがけ なくては ならない。そして、かんじが にがてな ひとには、「かんじを つかわない じゆう」を みとめる べきだ。もし、かんじを つかわない ぶんしょうは「よむきが おきない」といって、かながきの ぶんしょうを はねのけるなら、マイノリティだけが そんを すること になる。にほんごを、だれにでも ひらかれた、いきいき とした ことばに して いかなくては ならない。

ほんとか?特に読むスピードのこと。

1.1.5.漢字まじり文は、ローマ字文/かながき文より絶対にはやくよめるのか

で具体的に何を言っているのか読んでみたい物だ。
まあ、一応専門の研究者のようであるから、部外者がどうこういうものでもなかろう。具体的な証明などは専門家に任せておけば良いが。

正直真面目に取り上げる気がしなくなったのは、プロフィールをみてから。

2002年3月から2004年2月まで韓国のテグ大学に留学してました。

主張と経歴を見る限りは、韓国人か韓国マニアなんだろうな。

韓国人が漢字を捨て去るのは、それぞれの国の勝手だから別にどうとも思わないが、日本人にまで自分たちの勝手なイデオロギーを押し付けないでほしいな。


あ、あと

1.3.すずき・たかお(鈴木孝夫)の漢字不可欠論のもつイデオロギー

とか、

2.2.1.1.はせがわ・さだお(長谷川貞夫)による「六点漢字」
2.2.1.2.かわかみ・たいいち(川上泰一)による「漢点字

4.1.1点字を基準にしたシステムを−うめさお・ただお(梅棹忠夫)の提案

4.1.4.日本語のかきことばを開放しよう−ましこ・ひでのりの提案

のように、人の固有名詞を勝手に平仮名表記優先にするのもやめてほしいな。ヒロさん日記で挙げられた例でいえば、「崎」と「(「崎」の「大」のところが「立」になってる字)」みたいな些細な*2異字体にこだわりすぎる人も嫌いだが、固有名詞の正式な(or 本人がそう書かれることを望んでいる)表記法をまるっきり無視する人はもっと嫌いだ。

*1:山口県立大学国際文化学部、2002年『平成13年度 山口県立大学国際文化学部 卒業論文要旨集』9ページより原文のまま

*2:文字の持つ意味の点でも全く/ほとんど/大してかわらない。