家康

英国人との食事中の会話の中に、William Adamsの話が出た。一瞬なぜか脳裏にRobbie Williamsの猿顔やRobin Williamsが浮かんだが、音楽や映画の文脈ではない。歴史の文脈だと把握して、ようやく正解に到達した。「三浦按針」のことである。

その人の曰く。「彼が仕えた家康は日本をはじめて統一したんだろ?」

その時は、「いやいや、はじめてではない。再統一である」と答えた。

が、今になって思うのだが、その答えもあまり正確ではないように思う。

中国で言えば、はじめて統一というとどうなるのだろうか。

殷はもとより周も都市国家群の第一人者って感じだったみたいだから、現代的な感覚から言えばもともと統一されたというには遠い状況にはあったろうが、周の春秋あたりまではある程度精神的な統一感みたいなものもあったようにも見える。しかし中央集権的な意味での統一となると秦なのだろうな。そしてその後の正統とされる政権の樹立を、秦とは統治範囲が違っていても、「再統一」と呼称することに問題がないとするならば、日本でも天皇家による一応の集権的体制ができた時点をもって、一応はじめて統一されたと看做しても問題は無いように思う。

したがって、前半の「はじめてではない」についてはOKかと思う。

問題に感じたのは、後半の「再統一」の部分。

まずは、そもそも秀吉が戦国状態を収束させた、すなわち「統一」したんであって、家康への政権移行は信長の流れを汲む同一権力集団内の権力移動程度の物ではなかろうか。それを「統一」って呼ぶのは本来違うように思える。
中国に当てはめてみれば、隋が秀吉で家康は唐にあたるんではないか*1五胡十六国から南北朝に至る「戦国時代」を(再)統一したのは隋であり、唐は同じ鮮卑族拓跋部という権力集団内における簒奪による王朝交代。もちろんその間には混乱期はあったけど、中国的な感覚では簒奪による王朝交代ごとに再統一とはあまり言わない気がする。まして同じ権力集団内での簒奪では。

さらには、その前の日本は完全にバラバラの国であったかと言うとそうでもなかったし。確かに強制力をもった第一人者が不在の状態ではあったが、形式上の国の形としては平安時代以降一貫しているあたりがなんというか。まあ天皇の象徴性による「統一感」が戦国時代にどれほどの物があったかなんてわからないから、これ以上は踏み込みようが無いけれども。

ま、日本史が専門でもなんでもない外人さんにとりあえず説明するには、そもそも秀吉まで踏み込む必要も無いとは思うがね。

(2005/07/06のメモに加筆)

*1:信長は統一していないから隋の前の拓跋部諸政権にあたるか。ちなみに南北朝北朝の、鮮卑族による北魏の流れを汲む政権のことを指して使用している。